マンハイム・モーツァルト紀行 2006年9月 堀井さやか

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    今年1月末、厳冬のドイツ・マンハイムへ出掛けました
    たった5日間、という短い旅でしたが、マンハイムが、ウィーンやザルツブルクにひけをとらずモーツァルトにとっての大切な土地でしたので、今回メロマン室内管弦楽団よりピアノ協奏曲のお誘いを頂いた私は、このマンハイム訪問には喜びとある種の胸騒ぎを感じていました。

    モーツァルトが活躍した当時のマンハイムの通り

     

    幼少期、父親に連れられやむなく訪れた各地の中で、後に青年となったモーツァルト自身が、自ら望んで生涯の中で4度も訪れ、長く滞在した土地、この地に永住の覚悟で職を求め、又、愛する女性と時を過ごし、多くの音楽仲間に巡り逢えたマンハイム。 今ではフランクフルトからアウトバーンで40分足らずのマンハイムは(ただし、私の知人は時速180キロの運転です、、、)きっと春には木々の芽が吹き出し、若葉と色とりどりの花で美しいであろうと想像できる街ですが、1月の当地は空の色も木々も、何もかもが真冬でした。
    到着して2日後の午後、ピアノ協奏曲21番のカデンツについて相談に乗ってもらう為マンハイム音楽大学へ出かける予定の入っていた私は、午前中、どんよりと曇った天気の中、時間つぶしに宮殿へでも散歩に行こう、と出掛けました。戦後、綺麗に区画整理された街並みで、一人歩きが本当に楽で王宮へはすぐに辿り着きましたが、あいにく修復中で閉館。 がっかりして、どうしようか、、、と立尽くし道を挟んだ向かいにふと目をやると、モーツァルトのレリーフがある教会が静かに私の前にありました。 壁の碑を読むと、彼がマンハイム在住中にいつも訪れていた教会でした。嬉しくなり、迷うことなく中に入ると、ミサの最中。「・・・そっか、今日は日曜日だったんだ!」 無宗教の私などが日曜ミサに行くのはウィーン在住以来10数年ぶりでした。余りにも静かだったので、ちょっと臆してしまい、扉付近で“Kirchenmusikmesse”(教会音楽ミサ)と書かれたビラを見つけ、その一枚を手にとって私はすぐに表に出てしまいました。外に出て、緑色の簡素なそのビラをよく見ると、音楽ミサが行われている教会はここから歩いて10分も離れていない別の教会、しかもモーツァルトのミサ曲ばかりでした。“今ならまだ、間に合う!”と、足早に私は駆けつけました。

    JESUITENKIRCHE教会

    街の中央に位置したこちらの教会は厳かながら、弦楽器や合唱隊の演奏が教会に満ち溢れ、自然と私もゆるやかな足どりで後ろに参列できました。大勢の老若男女、赤ん坊を抱いた黒人の家族連れ、鼻や耳にピアスをしたモヒカンのお兄さん、、、様々な人が静粛にミサに参列していました。でも、皆が私を見ても優しく微笑んでくれ、80歳を超えた程の頑固そうなおじいさんはこっちにおいで、と席をつめてくれ、くしゃくしゃの顔をしたおばさんが小さな座布団を差し出してくれ、椅子が冷たいからお尻に当てなさい、と一生懸命ジェスチャーで示してくれました。「ごめんなさい!私はクリスチャンではないですが・・・」と小声で言っても、いいよ、いいよ、と手を縦に振る人々ばかりでした。

    ミサ曲を聴いているうちに、初めの教会からモーツァルトがここまで私を誘ってくれたのでは!!!と急に、そう思えました。どの人も、皆、ぶ厚いコートを着たままなのに、心がぽかぽかと暖かで、誰もが神様の前で許しあえて、音楽が満ち溢れて・・・モーツァルトもこんな思いをしたのかも知れない、神様の前で心を解放し、弱者に手を差し伸べ、清らかな心になれる・・・純粋に彼はそう感じてミサ曲を作ったのではないかしら、と熱い思いがこみ上げてきました。

    マンハイムでのマチネー(昼間のコンサート)のチラシ

    ウィーン在住の頃、私には湾岸戦争に直面していた友達がいました。イラクからウィーンに3ヶ月だけドイツ語を学びに来ていた13歳の男の子です。彼はいつもネックレスとブレスレットをしていました。“チビのくせに名前なんぞ刻み込んだブレスレットをチャラチャラと、なんて生意気な!”と思いつつ、その子のブレスレットを手に触ってみた時、彼が言いました、「いつもつけていないと駄目なんだ、地雷で首が飛んだって、手が無くなったって僕の身体だってわかるように。」 その男の子の言葉に愕然となり、返す言葉が無かったことを思い出します。今も、彼の顔とそのブレスレットは忘れることは出来ません。その子が「さやかの国は戦争が無いんだろ、いいな、そんな国でピアノ、ずっと弾いていけて」と言いました。・・・日本に帰ってから、彼の消息はつかめなくなりました。
    世界のあちらこちらで、残念ながら今も戦争があります、「せめて音楽を聴いている時、奏している時、音楽を愛する仲間が集った時、言い争い、罵りあいなどない中で、皆が優しい心で許しあって楽しもうよ!」・・・モーツァルトは神様の前でそう思ったのでは、と思います。 今回の21番のコンツェルトの2楽章がそんな思いの曲に感じられるのはマンハイムを訪れた時に出遭った“モーツァルト”があらためてプレゼントしてくれたように思えてなりません。
    (・・・井塚先生がおっしゃられていましたが、まさしく、この曲は“愛の曲”、ではないでしょうか・・・)

    1991年のドイツでのモーツァルト没後200年祭出演、そして今回の生誕250年祭、どちらも不思議な縁を感じ、皆、神様とモーツァルトが天からプレゼントしてくれているひとときだと思っています。優しいメロマンの皆さんと共に楽しんで奏することができ、モーツァルトも心からの微笑みを贈ってくれているように思います♪♪♪

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